わが恋は燃えぬ(1949年、松竹京都)| 巨匠「溝口健二」特集

「溝口健二」特集

明治17年、岡山の旧家に育った平山英子は、自由民権運動に触れたことをきっかけに、封建的な暮らしから抜け出して東京へ向かう。恋人の早瀬龍三を追って上京した英子だったが、早瀬が政府のスパイとなっていたことを知り、大きな失望を味わう。

その後、自由党の重井憲太郎と出会い、ともに民権運動へ身を投じていく英子。製糸工場で虐げられる女工たちの姿や投獄を経験するなかで、政治的な自由だけでなく、女性自身の自立と解放の必要性に目覚めていく。しかし、自由を説く重井もまた、男女関係では旧い価値観から抜け出せていなかった。実在の婦人運動家・福田英子の半生をもとに、女性が自らの意思で生きようとする姿を描いた作品。

女性解放3部作の第3弾、田中絹代は太ったかな。激しい暴力シーンとか溝口らしいリアル感はあって凄い話ではあるのだが、基本的には普通の映画だと思う。「お化粧してるね、なかなか綺麗だよ」と言われて照れる姿を演じる田中が可憐である。

長回しと人物の動き

溝口特有の長回しが随所に見られる。人物の動きや位置関係を一つのショットの中で変化させ、感情の高まりを表現する。早瀬が英子に暴力を振るう場面では、人物が画面の手前に迫り、やがて画面外へ消える。カメラはその動きを追わず、倒れてくる屏風や人物の再登場によって緊張を生み出している。編集に頼らず、画面内部の変化によって劇的な効果を生み出す。

ロングショットとクローズアップの使い分け

『残菊物語』や『西鶴一代女』などと比較すると、人物に比較的近い距離から撮影したショットが多い。複数の人物を同一画面に収めるミディアムショットも目立ち、政治的な議論や男女の対立を直接的に描いている。一方、群衆や労働者を描く場面では俯瞰撮影や移動撮影を用い、個人の問題を社会全体の問題へと広げている。

空間によって示される女性の立場

画面内における人物の配置にも意味がある。政治運動を主導する男性たちに対し、英子が周縁に置かれる構図は、自由や平等を唱える運動の内部にも女性を排除する構造が存在することを暗示する。人物の立ち位置やカメラとの距離によって、社会的な力関係を視覚化している点が特徴的である。

女性の主体性を描く社会批判

男性への献身や犠牲を描いた従来の溝口作品とは異なり、本作では女性自身が自由を求め、社会的な矛盾に立ち向かう姿が前面に出ている。しかし、自由や平等を主張する男性たちも、女性に対しては封建的な価値観から抜け出せない。その矛盾を、恋愛関係の崩壊と政治運動の挫折を重ねることで浮かび上がらせている。

戦後民主主義の反映

本作が公開された1949年は、日本社会が民主主義と男女平等という新しい価値観へ移行していた時代である。明治時代を舞台としながら、実際には戦後日本の社会問題を問い直す作品でもある。溝口が繰り返し描いてきた女性の抑圧という主題が、より直接的な政治性を帯びている。

『雨月物語』や『山椒大夫』のような抑制された悲劇性とは異なり、社会的な主張が明確な作品である。ただし、長回しや人物の配置を通じて感情や社会的関係を表現する手法には、溝口の一貫した演出思想が認められる。

とりわけ重要なのは、自由を唱える男性もまた、女性にとっては抑圧者になり得るという矛盾を、物語だけでなく画面構成によって示していることである。

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