汝、星のごとく

2026年映画

瀬戸内海の小さな島で育った高校生の井上暁海(広瀬すず)は、父親の不倫によって心を病んだ母親と暮らしていた。そこへ、自由奔放な母親に振り回されて京都から転校してきた青埜櫂(横浜流星)が現れる。

複雑な家庭環境のなかで孤独を抱えていた二人は、互いに惹かれ合い、恋に落ちる。やがて櫂は漫画原作者になる夢を追って東京へ向かうが、暁海は母親を支えるため島に残ることを選ぶ。

離れて暮らす二人は、それぞれの夢や仕事、家族への責任に翻弄され、次第にすれ違っていく。それでも互いへの思いを断ち切ることができない二人は、人生のさまざまな岐路に立たされながら、愛することと自分自身の人生を生きることの間で葛藤を重ねる。

凪良ゆうの同名小説を原作に、17歳から32歳までの15年間にわたる二人の愛と人生の選択を描いた物語。

3章構成の物語に合わせて撮影機材そのものを変えるという、意欲的な試みがなされている。

3種類のカメラによる時間の表現

第1章の高校時代には、Canon EOS 7Dを使用している。これは藤井監督と今村が学生時代に共同で購入したデジタル一眼レフであり、あえて現在の映画用カメラよりも粗い画質を採用することで、青春期の未成熟さや不安定さを表現している。

第2章には、プロの映画制作で広く使われるARRI ALEXAを使用。階調や色彩の再現に優れたデジタルシネマカメラによって、社会へ出た主人公たちの世界を描いている。

そして第3章では、35mmフィルム撮影へと移行する。

映像の質感の変化は、単なる時代の再現ではない。主人公たちの15年間は、藤井監督と今村自身が映画制作を続けてきた時間とも重なっている。つまり、撮影機材の変遷そのものが、登場人物の人生だけでなく、作り手自身の時間をも映し出している。

青と黄色を中心とした色彩設計

本作では、登場人物ごとにテーマカラーが設定されている。

櫂は青、暁海は黄色、櫂の友人である尚人は緑を基調とし、北原と瞳子にはアイボリーが用いられている。特に重要なのが、主人公二人の青と黄色の対比である。櫂の青は瀬戸内の海を連想させ、暁海の黄色には自立心や凛とした強さが込められている。人物の性格や関係性を台詞で説明するだけでなく、衣装の色彩によって視覚的に印象づける。

また、黄色と青は色相環上で離れた位置にあり、画面のなかで互いを際立たせやすい。二人が同じ画面に収まったとき、その色彩の対比は、それぞれが異なる人生を歩む独立した存在であることを想起させる。

色彩を単なる装飾ではなく、人物造形の一部として利用している。

瀬戸内の風景と光の表現

瀬戸内海の島は、主人公たちの青春を象徴する重要な舞台となっている。海や空、島の風景は、美しい背景であると同時に、二人の記憶が刻まれた場所でもある。

藤井監督は実際の季節に合わせた撮影を重視し、本作でも夏と冬に撮影期間を分けている。季節によって変化する太陽の高さや光の質感、空気感を映像に取り込むことで、時間の経過を視覚的に表現している。なかでも花火は、物語全体を貫く象徴的な存在だ。

ホテルと砂浜という異なる場所から花火を撮影し、さらに作品のために特別な花火を打ち上げている。同じ花火を見るという行為が、二人の距離や置かれた状況によって異なる意味を持つ。繰り返し登場する風景に、時間の経過とともに新たな意味を与える。

時間の省略と観客の想像力

原作は15年間にわたる二人の人生を、それぞれの視点から丁寧に描いている。しかし映画では、物語を大きく3章に再構成している。

監督は当初、短いショットを連続させるモンタージュによって時間の経過を説明することを考えていた。しかし制作途中で方針を変更し、章と章の間にある出来事を、あえて詳しく説明しない構成を選択した。観客は省略された時間に何が起きたのかを、登場人物の表情や関係の変化から想像することになる。これは、すべてを説明するのではなく、映像の余白に意味を持たせる。

監督はこれまでにも『余命10年』などで時間の経過を描いてきたが、本作では説明的な編集を抑えることで、観客の想像力に委ねている。

音響による時間と心理の変化

映像だけでなく、音響にも3章それぞれの特徴が与えられている。

第1章はステレオに近い比較的狭い音像を採用し、第2章では5.1chサラウンドによって音の空間的な広がりを強調している。第3章ではアナログのミキシング卓を用い、デジタル特有の音の質感を和らげる工夫がなされている。

さらに劇伴音楽も、共通する旋律を基本にしながら、章ごとに楽器や音の構成を変化させている。

時間の経過を映像だけで説明するのではなく、音の質感や広がりによっても感じさせる。

俳優の身体と時間の表現

15年間という長い時間を描くうえでは、俳優自身の身体的な変化も重要な役割を担っている。

横浜流星は年齢や境遇による変化を表現するため、体重を大幅に変化させている。一方、広瀬すずは声の高さ、姿勢、視線といった細部を調整し、年齢を重ねる暁海を演じ分けている。監督は細かな演技指導とテイクを重ねることで、人物の心理的な変化を引き出している。

特に終盤の35mmフィルムによる撮影では、容易に撮り直せないという条件が、俳優とスタッフに独特の緊張感をもたらした。

ここでは映像技術だけでなく、俳優の身体そのものが時間の経過を表現する手段となっている。

総評

『汝、星のごとく』の演出で最も興味深いのは、時間の経過を単に物語のなかで説明するのではなく、映像と音の質感そのものによって表現しようとしている点である。

デジタル一眼レフからシネマカメラ、そして35mmフィルムへという選択は、一般的な映画制作における機材の進歩を示すものではない。それぞれの撮影方式が持つ特徴を、登場人物たちの人生に重ね合わせるための演出である。

一方で、撮影機材の変更や明確な色彩設計は、観客にとって必ずしも意識されるものではない。むしろ、それらが自然に受け入れられ、人物の感情や時間の変化として感じられることに意味がある。

本作は、時間そのものを映像化しようとする映画である。

失われた時間は戻らず、人間もまた変化していく。その不可逆性を、物語だけでなく撮影という行為そのものに結びつけているところに、演出上の特徴が表れている。

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