江戸の人気浮世絵師・喜多川歌麿と、彼を取り巻く女たちの愛と情念を描いた時代劇。浅草の水茶屋の娘おきたは、歌麿に描かれたことをきっかけに江戸中の評判となるが、恋する庄三郎への激しい嫉妬と独占欲から周囲を翻弄していく。一方、歌麿はさまざまな女性との出会いから美を見いだし、それを浮世絵へと昇華していく。
絵師として自由に生きようとする歌麿と、恋や欲望に突き動かされる女たちの姿を通して、江戸の町人文化と男女の情念を描く。溝口健二が得意とした女性の生き方を、華やかな浮世絵の世界とともに描いた戦後初期の時代劇。主演は田中絹代。1946年12月15日公開。
戦後2作目にして、GHQ占領下で作られた最初の作品。江戸時代の風物・風俗を含めリアリスティックに女性たちを描く。特に田中絹代の美しさよ・・・監督は彼女を特別視しているのだろう。溝口のやや別角度のスタイルができつつある感じかな。
溝口が得意とする長回し、移動撮影、奥行きのある画面構成が随所に見られ、後年の『西鶴一代女』や『雨月物語』へとつながる演出様式が認められる。一方、芸術家と女性の関係を描くことで、女性を表現する芸術そのものの意味を問いかける作品でもある。
流動的な画面構成
本作では、溝口特有の長回しと移動撮影が重要な役割を果たしている。冒頭の行列を捉えた場面では、カメラが人々の並びに沿って移動し、江戸の風俗を一枚の絵巻物のように描き出している。
人物の感情に合わせて頻繁にカットを切り替えるのではなく、一つのショットの中で人物を移動させ、画面の構図を変化させていく。こうした演出によって、複数の人物の関係性や感情の変化を連続した時間の中で表現している。
浮世絵を思わせる構図と空間表現
浮世絵師を主人公とする本作では、画面構成そのものにも絵画的な美しさがある。人物を前景、中景、後景に配置し、障子や屏風、柱などによって画面を分割することで、複雑な奥行きと均衡を生み出している。
特に、女性が屏風の陰に部分的に隠れる場面では、人物の姿をすべて見せるのではなく、遮蔽物を利用して感情を暗示する。
画面の隅々まで計算された構図でありながら、人物の動きによって絶えず変化する点に、静止した絵画とは異なる映画独自の表現がある。
女性の身体を描く場面と視線の演出
歌麿が遊女の背中に絵を描き、刺青の下絵とする場面は、本作を象徴する演出である。女性の身体そのものが芸術の対象となり、歌麿の創作への情熱が視覚的に表現される。
しかし、この場面には単なる美の追求だけではない意味がある。女性の美しさを芸術として表現する行為は、同時に女性を男性の視線によって対象化する行為でもある。
溝口は女性を美しく描く一方、その女性たちが置かれた社会的な立場や苦悩を描き出している。芸術家の視線と女性自身の人生との間にある矛盾が、本作の重要な主題となっている。
抑制されたカメラワークと感情表現
女性たちの恋愛や嫉妬、苦悩は激しいものだが、カメラは必ずしもその感情に同調しない。人物の表情をクローズアップで強調するよりも、一定の距離を保ちながら、その行動や周囲との関係を見つめる演出が中心となっている。
特に終盤、おきたが自らの罪を告白する場面では、長回しの中で人物の位置や画面構成が変化し、悲劇的な感情が積み重ねられていく。おきたが画面から立ち去った後も、カメラはすぐに彼女を追わず、残された空間を映し続ける。
一方、この場面ではおきたを比較的近い距離から捉えるショットも用いられており、溝口がロングショットだけに固執していないこともわかる。
芸術家としての歌麿と溝口自身の重なり
本作の歌麿は、既成の権威や伝統的な画壇に反発し、女性たちの生きた姿を描こうとする芸術家として登場する。その姿には、女性を描き続けてきた溝口自身の芸術観が投影されていると考えられる。
歌麿は幕府によって創作の自由を奪われるが、それでも絵を描きたいという欲求を失わない。芸術家と権力の対立という構図には、映画制作に対する検閲の問題も重ねられている。
本作は占領下の1946年に制作され、時代劇に対する占領軍の厳しい規制を受けていた。そうした時代背景を考えると、歌麿の創作への執念は、溝口自身の映画制作に対する姿勢を反映したものとも解釈できる。
女性の悲劇と芸術表現の関係
本作は、溝口が一貫して描いてきた女性の抑圧という主題を扱いながら、芸術家自身の存在を問い直す作品でもある。歌麿の周囲にいる女性たちは、それぞれ恋愛や社会的な制約に苦しめられる一方、その姿が歌麿の芸術を生み出す源泉となっている。
この関係は、女性の悲劇を描くことで独自の芸術を確立してきた溝口自身にも重なる。女性を美しく描くことと、その苦しみを表現することは、必ずしも同じ意味を持たない。本作には、そうした芸術表現そのものへの問いが含まれている。
演出面では、長回しや流麗な移動撮影、人物と空間の関係を重視する構図など、溝口本来の様式が色濃く認められる。ただし、複数の人物の物語が交錯する構成には散漫さもあり、後年の代表作ほど緊密に統一された作品とは言い難い。
『歌麿をめぐる五人の女』は、女性の人生を見つめる溝口の演出様式と、女性を描く芸術家としての自己意識が重なり合う作品である。 その意味では、単なる浮世絵師の伝記映画ではなく、溝口自身の芸術観を映し出した作品として捉えることができる。



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